映画の感想①「リリーのすべて」

私はつい先日の金曜ロードショーで「ファンタスティック・ビースト」が放映されているのを観てニュート・スキャマンダー推しになり、そのまま転がり落ちるようにエディ・レッドメインに堕ちた超新参なので彼の出演作をほとんど観たことがない。

 

そんな中彼が主演を務めている「リリーのすべて」を見るきっかけとなったのは、エディ・レッドメインが出演している映画のうち、おすすめの作品としてTwitterで挙げられていたことだった。

 

トランスジェンダー役って難しそうなのにすごいな、とか女装姿のエディを見たいとか多少不純な動機もありつつネトフリを開いたものの、結果的に冒頭から圧倒されたうえ、ボロボロに泣き鼻をすすりながらクレジットを観ることになる。

 

様々な性が少しずつ受け入れられつつある現代よりもずっと前の時代を生きたトランスジェンダーたちがどんなに生きづらかったか、心の性と体が食い違って生まれるということの本当の辛さとはなにかということが、当事者ではない人々にも伝わる作品だと感じた。

 

どうしても作品の感想を書き留めたいので、めめちゃめちゃ乱文だが感想やあらすじを書いておこうと思う。

 

映画本編の感想

 

まず物語は、エディが演じる主人公のアイナーと、妻のゲルダを中心として展開されていく。2人は画家で絵を描いて生計を立てており、夫婦仲が良くめちゃくちゃラブラブで映画冒頭はラブシーンばかりだった。

 

この時点ではアイナーも男性の姿で夫婦仲も良好なのでアイナーの女性性って後天的なものなのか?と思っていたものの、ゲルダがアイナーに絵画モデルを頼んだところから展開が変わっていく。

 

アイナーは絵のモデルとなっている女性バレエダンサーの代わりとして、女性物のタイツや靴を履き、フリフリの衣装を体にあててポーズを取った。いやだよ、とか言いつついやいやモデルをするものの、アイナーはきれいなタイツや靴、衣装に惹かれている。


そこにゲルダの友人が現れ、ポーズをとっているアイナーを見て笑い、冗談めかして「あなたはリリーよ」とユリの花束を手渡した。この出来事をきっかけに、アイナーは妻の下着をこっそり身に着けたり、女装を始めたりと本来の姿であるリリーへと変貌していくことになる。

 

その姿は美しく、正体を知っている男性を惚れさせる力があるほどだった。実際女装したエディがまじで美しい。


ギルダはその姿をモデルに絵を描くようになり、これまであんまり世間ウケしなかったギルダの絵は、これをきっかけに話題を呼ぶことになる。


この時からアイナーはノリノリでポーズをとったり、女性姿でいることが多くなる。

 

最初こそアイナーの女装をゲーム感覚でノリノリでサポートしていたゲルダが異変に気付き始め、少しずつすれ違いが生じる。

 

その時にアイナーはゲルダに、リリーはずっと前から自分の中にいて、あなたがリリーを強くしてくれた。と話している。結果的に女性性は後天的なものではなく、抑圧されていたアイナーの本来の性だったようだ。

 

アイナーはギルダを傷つけたくないけど自分を抑えられない、ゲルダは夫の変化を受け入れられない、でも愛しているから受け入れたいと互いに葛藤しあう。結果的にゲルダが夫を受け入れ最後の最後まで夫を支え続けた。

 

夫に会いたい、夫を返してとゲルダがリリーに詰め寄るシーンや、アイナーが完全にリリーへと変わってしまう性転換手術へ送り出した後の苦しそうな表情は本当に妻であるかのようで、


アイナーもアイナーでどんどん仕草が女性らしくなっていく様が美しく、同時に葛藤している表情が本当に苦しそうで、ここら辺からもう泣いていた。


アイナーがリリーになるということはアイナーを殺すことで、アイナーを消すことはギルダの愛する夫を殺すことになる。

 

アイナーは女性性に目覚めてもゲルダを愛していたものの、恋愛の対象がどんどん男性へと変わっていったのでゲルダは愛する妻というより家族と同じようなカテゴリへと変わっていった。

 

一方でゲルダはアイナーを愛しているのに、どんどん「リリー」にしか会うことができなくなっていく。この感情の齟齬を解決するにはアイナーがリリーを諦めるか、ゲルダがアイナーを諦めるしかない。

 

結果的にゲルダはリリーも愛し続け、性転換手術のサポートもするものの手術はそう簡単ではなく、性転換手術を受けたあとのアイナーは痛みや高熱に冒され、結果的に体が耐え切れず命を落とすこととなった。


ラストでアイナーがギルダにプレゼントしたスカーフが風に乗って飛んでいき、ギルダがそれを笑顔で見送っているシーンは、やっと性というしがらみから解放されたアイナーを暗に示しているようで苦しかった。

 

私はたまたま性自認と本来の性が一致していて、また世間的に多数派らしい異性愛者だった。しかしそれを違えて生まれた人は、本当の姿を手に入れるだけでこんなにも苦しまなくてはならないというのはあまりに不公平だと思う。

 

内容から逸れるが、書きながら以前祖父が亡くなった関係でお坊さんの話を聞いた時、人生は魂の修行で、人生を立派に生きれば神の使いになると話していたことを思い出した。

 

つまりは、人生は試練で辛く苦しいのは当たり前で死んだら救済されるからがんばんなということだと思うが、この個々人が抱えている問題や辛さには明らかに差があるし、アイナーの人生の試練がそれだったんだとしたら重すぎるだろと思う。


正直死んで本当に報われるかどうかなんて何1つ保証されてないので、やっぱり多くの人がなんだかんだ幸せだったと思いながら死ねるに越したことはない。

 

アイナーは死の間際、「とても素敵な夢を見た。私は母親の腕に抱かれていて、母親は私にリリーと呼びかけるの」と言い残していた。

生まれたときからアイナーがリリーだったら、危険な性転換手術で命を落とすこともなく生きられたのか、

 

もしくは本当の性を当たり前に受け入れてくれる社会があったら幸せに生きられたのか…

 

現代では、同性婚や戸籍上の性別の変更など、本来の性を受け入れる制度や当時より安全な医療体制が築かれているものの、未だジェンダーに関する偏見を持った人間はいる。

 

実際私もはじめからずっと偏見を持っていなかったとは言い切れないし、受け入れられない人が一部いるのは仕方のないことだが、少しでもジェンダーに苦しむ人が少なくなることを願いたい。

 



だ、である調(?)で書いてみたけどどことなくうざくなってしまった…

とにかく、映画は俳優さんや女優さんの演技力もすさまじく、映像も美しいので気になる方はぜひ観てみてください !

語彙力がなく薄っぺらいことしか言えませんがとてもおすすめの作品です。