映画の感想②ヘレディタリー/継承
ネトフリにあったから観てみるか~とか軽い気持ちで観るべき映画じゃなかった。
ホラー映画の怖さって、得体の知れないものに襲われるとかとりつかれるとか、恐怖の対象がはっきりとしているものが多い。
でもこの映画の怖さは、これがすべての元凶なんだと思いこんでいたら、次は違うものが恐ろしくなる、その次は…といった感じで恐怖の対象がすぐにはっきりしないところだ。
ラストですべてがわかると、なんでもなかったような映画冒頭のシーンから最後を含めすべてが怖くなる。
映画全体に細かく張り巡らされた伏線を回収していくのと、音や視覚を使って鑑賞している人の恐怖心をあおるのがめちゃくちゃうまくて、
驚かせる、怖がらせるだけの映画ではなく、細部まで気を配って作り込まれた良い映画だったので、またいつかラストを踏まえて観返したいなと思う。
あらすじとしては、主人公のアニーの母であるエレンが亡くなってしまい
アニーがエレンの遺品を整理している際に、
「あまり多くを話せなくてごめんなさい、でも犠牲は恩恵のためにある(こんな感じだったはず)」というようなメモを発見する。
それからどんどん説明のつかない出来事や不幸に襲われていくうち、アニーもその家族も正気を失って崩壊していき、最後は…という感じだ。
映画は全体を通して恐怖心をあおるのがとにかくうまい。
例えば、電気を消した真っ暗な部屋の中で、物の影が人の姿に見えたり、ぼんやりとした暗闇の中になにかが見ているんじゃないかと想像したりして、急に怖くなるという経験は誰にでもあると思う。
作中ではそんな表現が所々で使われていて、何もかもに疑いを向けてしまうので全く気が抜けない。
また、無理やり観ている側を驚かせるような効果音や音楽がなく、全体的に静かな映画であるからこそ、小さな音にも過敏になって逆に怖い。
作中でアニーの娘チャーリーが癖でやっている「コッ」と舌を鳴らす音も、何気ない音である分観ている側に恐怖心を植え付けるのにピッタリすぎる要素だった。
音と人物が結びつくことで、誰がそこにいるのか、何が起こっているのかが予想できてしまうからだ。
今真っ暗な自室で感想を書いているから、もし今耳元で「コッ」という音がしたら絶叫して失禁する自信しかない。
展開も、観ている側の考えや心理状態をすべて読まれている感じがして、ミスリードさせられてはまた別の恐怖におびえるという仕組みが出来上がっている。
首が切れる描写が多いことも、特定の人物の行動も、すべてに意味があることが怖い。
恐怖の対象は果てしないものなので、逆に言えば、純粋なジャパニーズホラーが苦手な私でも、怖がりはしたものの観れたので、幽霊系、びっくり系が苦手な人でも観られるんじゃないかと思う。
今すぐこのとんでもない映画をもう1回観る気力はもうないし、しばらくはプリンセスと魔法のキスとか、チャーリーとチョコレート工場とかそういうのしか受けつけなくなりそうだ。
好きな映画語り②グレイテスト・ショーマン
先日飛行機に乗る機会があり、その移動時間を使ってグレイテスト・ショーマンを観なおした。
この映画を初めて観たのは、確か今から2,3年ほど前だったかと思う。この映画を観た当初は、精神的に張りつめていたこともあり、1人でティッシュを抱えボロボロ泣いていたことを覚えている。
この世に1人として同じ人間がいないのと同じように、容姿が同じ人間も存在しない。(双子も厳密には違う顔をしていると思う。多分)
しかし、多数派でない容姿で生まれた者は、愚かな多数派に排他される傾向にある。
それは昔も今も変わらない。まったく容姿で人を差別したことがない人間なんて私含めそもそもこの世にほとんどいないのではないだろうか。
ただ当たり前に言えることは、誰もが平等に自分らしく生きる権利を有しているということだ。
この映画は、その当事者である人や人より自分が劣っていると感じている人に、これが自分で、個性だと受け入れる、自分を許すための勇気をくれるようなエネルギーのある映画だと感じている。
あらすじ
物語のあらすじは、貧しい仕立て屋の出であるバーナムとお嬢様のチャリティーとその子供たちが、バーナムの勤め先が倒産したことをきっかけに事業を始めようと画策し、結果的に風変りな人々を集めたサーカス団を開くというものだ。
風変りな人々というのは、ひげの生えた女性や子供ほどの背丈の男性、黒人、とても背の高い男性など、これまで蔑まれ身を潜めて生きてきた人たちで、
バーナムが彼らを集めたのはボランティア精神からではなく、物珍しさで人々の注目を集め金儲けをすることが大きな目的だったが、目的はどうであれ、これまで隠れるように生きてきた彼らは、そこで初めて自分の輝ける場所や仲間を見つけることができた。
そんな彼らに、バーナムはこれまで富や名声ばかりを追い求め、大切な人を蔑ろにしていたことに気づかされる。
音楽
グレイテスト・ショーマンはミュージカル映画なので、作中では登場人物たちがよく歌うし、急に歌いだすこともある。そのためミュージカルチックなものが苦手な人はそれだけで観るのをやめてしまうのではないだろうか。
ただ、この映画に至っては作中では大げさに演じている感じや無理くり曲を食い込ませている感じは全くなく、むしろ登場人物たちの感情がひしひし伝わってくるような音楽が映画を魅力を一層引き立てている。
作中でも特に印象的なのは、「The Greatest Show」、「Never Enogh」、「This is Me」の3曲だ。この3曲に至っては、おそらく映画を観たことがなくても耳にしたことがある人は多いのではないだろうか。
まず、この映画のメインテーマともいえる「The Greatest Show」が流れるのは、映画の冒頭でバーナム率いる団員たちがパフォーマンスをするシーンだ。
ここの盛り上がりで一気に引き込まれてボルテージが上がったところで本編に入る。そしてラストもこの曲で締まる。冒頭と終わりで2回聴いても、それぞれ「最高やんけ!」という気持ちにさせてくれる楽曲だ。
「Never Enogh」は、バーナムが目を付けた歌姫ジェニーが劇団の公演で披露した曲だが、そのシーンではまず歌唱力に圧倒される。そして歌詞の訳を見てみると、歌姫ジェニーの出生から想像できる満たされない思いが感じられる。
切ないながらもパワフルで迫力があり、感情を揺さぶられる。個人的には作中の楽曲の中でも特に好きな曲だ。実際「Never Enogh」は多くの国でアルバムチャート1位を獲得するなど人気の高い曲なので、ぜひ一度聴いてみてほしい。YouTubeで公式があげてた気がする。
そして前述した2曲を抑えるほど人気が高いのが「This is Me」だ。この曲は、作中で髭が生えている女性が、これまで排他されてきたことへの怒りやこれから胸を張って生きていく決心を歌っている。
「どんなに鋭い言葉が私を切り裂こうとも、洪水を起こして溺れさせてやる」、「これが私だ」というネガティブな気持ちを吹き飛ばすような強い歌詞が、当時メンヘラをこじらせていた私に刺さり、そうだよな、This is Me精神で生きていていいんだよな…とボロボロに泣いてしまった。
私はどうしてこんななんだろう、あの人みたいになれたらいいのに…とふさぎこんでいじいじしているよりも、自分誰が何と言おうとこれが私なんだよ、なんか言ってくるやつぁぶちのめすぞくらいの気概で生きているほうがやっぱり素敵だ。
おわり
やっぱり前向きに生きていくことってなかなかできるもんじゃない。この映画を観たからと言って必ず心が晴れるわけでも救われるわけでもない。
ただ少なからず、ああ。そうだった。人間って意外と自由にやっていいんだよな。みたいな、肩の荷が下りるような心地になる人はいると思う。メンタルやられている人でもある程度観やすい映画だと思うので、興味のある方はぜひに!
好きな映画語り①IT
直近で観ておらず所々うろ覚えだけど好きな映画がたくさんあり、それについても書いときたいなと思ったので、まず今回は「IT」について書いていきたいと思う。
ITは、ピエロ恐怖症を世の中の子供に植え付けるきっかけになったともいわれているメジャーなホラー映画だが、私の所感ではエモーショナルさが魅力の青春ホラーストーリーだ。
まずlTは2作に分かれており、1作目では主人公たち(ルーザーズ・クラブ)が中学生ぐらいで人喰いピエロペニーワイズ(IT)とはじめて対峙。2作目では、それから27年後の彼らが再会し、再度ペニーワイズに立ち向かっていく構成となっている。
この○年後もっかい帰ってくる的なのはシャイニングでもやってたのでホラーの定番なのかよくわからないが、1作目を観た人からすればこのエモーショナルさは半端ではない。
特に2作目では再集結したルーザーズ・クラブの面々がペニーワイズを倒すために1作目で乗り回していたチャリンコやコインゲームのコイン、ラブレターなどそれぞれの思い出の品を集めていき、忘れたい思い出と忘れたくない思い出に向き合っているシーンは、「お前たち大人になったな…」という感情になる。
ちなみにこれは2作目でペニーワイズが死にそうな時彼らに言ったセリフだが、結局ITはルーザーズ・クラブにどんな気持ちでこの言葉をかけたのか謎だ。
そして再集結はもちろんのこと、1作目から2作目にかけペニーワイズと対峙し、克服していく様も熱い。
なぜならペニーワイズは相手が1番恐れているものの幻覚を見せてしこたま怯えさせてから人間を食べる習性があるからだ。
例えば主人公ビルが見る幻覚は弟のジョージ。1作目冒頭でジョージはペニーワイズに食われて死んでおり、この時ビルは弟と遊ぶのがだるくて仮病を使って弟を1人で遊ばせたので、その罪悪感からビルのせいで死んだと訴えるジョージの幻覚に襲われる。
火事で両親を亡くしたマイクは、扉の隙間から焼け焦げた無数の手が伸びてくる幻覚、父親から性的虐待を受けるベバリーは、風呂場で大量の血(生理の暗喩っぽい)があふれる幻覚を見る。
つまりは自分自身が最も恐れているものに対峙し、克服しないことにはペニーワイズに立ち向かうことはできない。これを乗り越えて強くなっていくさまは眩しい。
結局ラストはあ、そんなかんじなんだ…という結末で、賛否両論あるっぽいが普通に好きな作品なのでまたそのうち観返したいと思う。
ちなみにペニーワイズが人を怯えさせるのは怯えさせた方がおいしくなるかららしいが、それってトマトの水やりをあえて減らすと甘みが増すとか、クラシックを聴かせた鰹節はうまいとかそういう感じなのか?
ただペニーワイズは原作によると化け物というより地球外生命体らしいので、ペニーワイズがグルメどうこうというより動物の習性みたいなものの気もする。
とにかく、ITはお化け系ホラーが苦手な私でも観られる恐らく比較的優しいホラー映画なので、気になる方はぜひ2作併せて観てみてほしい。
映画の感想①「リリーのすべて」
私はつい先日の金曜ロードショーで「ファンタスティック・ビースト」が放映されているのを観てニュート・スキャマンダー推しになり、そのまま転がり落ちるようにエディ・レッドメインに堕ちた超新参なので彼の出演作をほとんど観たことがない。
そんな中彼が主演を務めている「リリーのすべて」を見るきっかけとなったのは、エディ・レッドメインが出演している映画のうち、おすすめの作品としてTwitterで挙げられていたことだった。
トランスジェンダー役って難しそうなのにすごいな、とか女装姿のエディを見たいとか多少不純な動機もありつつネトフリを開いたものの、結果的に冒頭から圧倒されたうえ、ボロボロに泣き鼻をすすりながらクレジットを観ることになる。
様々な性が少しずつ受け入れられつつある現代よりもずっと前の時代を生きたトランスジェンダーたちがどんなに生きづらかったか、心の性と体が食い違って生まれるということの本当の辛さとはなにかということが、当事者ではない人々にも伝わる作品だと感じた。
どうしても作品の感想を書き留めたいので、めめちゃめちゃ乱文だが感想やあらすじを書いておこうと思う。
映画本編の感想
まず物語は、エディが演じる主人公のアイナーと、妻のゲルダを中心として展開されていく。2人は画家で絵を描いて生計を立てており、夫婦仲が良くめちゃくちゃラブラブで映画冒頭はラブシーンばかりだった。
この時点ではアイナーも男性の姿で夫婦仲も良好なのでアイナーの女性性って後天的なものなのか?と思っていたものの、ゲルダがアイナーに絵画モデルを頼んだところから展開が変わっていく。
アイナーは絵のモデルとなっている女性バレエダンサーの代わりとして、女性物のタイツや靴を履き、フリフリの衣装を体にあててポーズを取った。いやだよ、とか言いつついやいやモデルをするものの、アイナーはきれいなタイツや靴、衣装に惹かれている。
そこにゲルダの友人が現れ、ポーズをとっているアイナーを見て笑い、冗談めかして「あなたはリリーよ」とユリの花束を手渡した。この出来事をきっかけに、アイナーは妻の下着をこっそり身に着けたり、女装を始めたりと本来の姿であるリリーへと変貌していくことになる。
その姿は美しく、正体を知っている男性を惚れさせる力があるほどだった。実際女装したエディがまじで美しい。
ギルダはその姿をモデルに絵を描くようになり、これまであんまり世間ウケしなかったギルダの絵は、これをきっかけに話題を呼ぶことになる。
この時からアイナーはノリノリでポーズをとったり、女性姿でいることが多くなる。
最初こそアイナーの女装をゲーム感覚でノリノリでサポートしていたゲルダが異変に気付き始め、少しずつすれ違いが生じる。
その時にアイナーはゲルダに、リリーはずっと前から自分の中にいて、あなたがリリーを強くしてくれた。と話している。結果的に女性性は後天的なものではなく、抑圧されていたアイナーの本来の性だったようだ。
アイナーはギルダを傷つけたくないけど自分を抑えられない、ゲルダは夫の変化を受け入れられない、でも愛しているから受け入れたいと互いに葛藤しあう。結果的にゲルダが夫を受け入れ最後の最後まで夫を支え続けた。
夫に会いたい、夫を返してとゲルダがリリーに詰め寄るシーンや、アイナーが完全にリリーへと変わってしまう性転換手術へ送り出した後の苦しそうな表情は本当に妻であるかのようで、
アイナーもアイナーでどんどん仕草が女性らしくなっていく様が美しく、同時に葛藤している表情が本当に苦しそうで、ここら辺からもう泣いていた。
アイナーがリリーになるということはアイナーを殺すことで、アイナーを消すことはギルダの愛する夫を殺すことになる。
アイナーは女性性に目覚めてもゲルダを愛していたものの、恋愛の対象がどんどん男性へと変わっていったのでゲルダは愛する妻というより家族と同じようなカテゴリへと変わっていった。
一方でゲルダはアイナーを愛しているのに、どんどん「リリー」にしか会うことができなくなっていく。この感情の齟齬を解決するにはアイナーがリリーを諦めるか、ゲルダがアイナーを諦めるしかない。
結果的にゲルダはリリーも愛し続け、性転換手術のサポートもするものの手術はそう簡単ではなく、性転換手術を受けたあとのアイナーは痛みや高熱に冒され、結果的に体が耐え切れず命を落とすこととなった。
ラストでアイナーがギルダにプレゼントしたスカーフが風に乗って飛んでいき、ギルダがそれを笑顔で見送っているシーンは、やっと性というしがらみから解放されたアイナーを暗に示しているようで苦しかった。
私はたまたま性自認と本来の性が一致していて、また世間的に多数派らしい異性愛者だった。しかしそれを違えて生まれた人は、本当の姿を手に入れるだけでこんなにも苦しまなくてはならないというのはあまりに不公平だと思う。
内容から逸れるが、書きながら以前祖父が亡くなった関係でお坊さんの話を聞いた時、人生は魂の修行で、人生を立派に生きれば神の使いになると話していたことを思い出した。
つまりは、人生は試練で辛く苦しいのは当たり前で死んだら救済されるからがんばんなということだと思うが、この個々人が抱えている問題や辛さには明らかに差があるし、アイナーの人生の試練がそれだったんだとしたら重すぎるだろと思う。
正直死んで本当に報われるかどうかなんて何1つ保証されてないので、やっぱり多くの人がなんだかんだ幸せだったと思いながら死ねるに越したことはない。
アイナーは死の間際、「とても素敵な夢を見た。私は母親の腕に抱かれていて、母親は私にリリーと呼びかけるの」と言い残していた。
生まれたときからアイナーがリリーだったら、危険な性転換手術で命を落とすこともなく生きられたのか、
もしくは本当の性を当たり前に受け入れてくれる社会があったら幸せに生きられたのか…
現代では、同性婚や戸籍上の性別の変更など、本来の性を受け入れる制度や当時より安全な医療体制が築かれているものの、未だジェンダーに関する偏見を持った人間はいる。
実際私もはじめからずっと偏見を持っていなかったとは言い切れないし、受け入れられない人が一部いるのは仕方のないことだが、少しでもジェンダーに苦しむ人が少なくなることを願いたい。
だ、である調(?)で書いてみたけどどことなくうざくなってしまった…
とにかく、映画は俳優さんや女優さんの演技力もすさまじく、映像も美しいので気になる方はぜひ観てみてください !
語彙力がなく薄っぺらいことしか言えませんがとてもおすすめの作品です。